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年末にうれしいこと二つ (月, 02 1月 2023)
あけましておめでとうございます 〓〓年々、手抜きになる年末年始でございます〓〓無理すると身体に出る年頃である、ということを言い訳に、「ゆっくりボチボチできる範囲で」をモットーに(?)過ごしております。結果、何も片付いていませ〜ん〓 年末、うれしいことが二つ〓一つ目は、昔の生徒さんに偶然会えました! 小2から高1ぐらいまで来てたかな? 東京で就職し結婚して、帰省してお母さんと出かけるところで、数年ぶりに会って言ってくれたことが、「スペースわん」が生き方に大きく影響した、自分の..
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スペースわん通信

生徒さんたちの成長の様子や、

日常生活での私の学びや気づきなどを書いています。


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子ども主体の学びにするには? 通信第45号(通算165号)

「問い」には「正解」がある?

「新・スペースわん通信」第44号で、

「選ぶ」ということについて書きました。

それは、第43号に書いた「生徒主体の学び」と大きく関わることなのですが、

この時大事なのが、「問い」の出し方です。

「問い」や「質問」というと、一般的には、

「正しい答えを要求されるもの」、

しかも、

「正解を答えられるかどうか評価される、あるいは、正解に誘導されるもの」

というふうに考えられているようです。

たしかに、「Q&A」というふうに「問い」と「答え」は対で表現されますし、

「質問」という言葉は、なんとなく

「質問されて、ちゃんと答えられなかったらどうしよう💦」

という不安感につながったりもします。 

特に、学校での先生の質問は、

「先生が持っている正解を答えられるかどうか」

「自分の答えが合っているかどうか」と、

ドキドキヒヤヒヤしますよね(^^;

そして、

「合っていたらほめられる」「間違ったら叱られる」

という世界です。

でも、そもそも「質問」や「問い」は、

常に「正しい答え」を要求するものなのでしょうか? 

「正解」のない「問い」って?

そんな疑問を持ったのは、

「スペースわん」の生徒さんたちとのやりとりは、

ほとんど私の「問い」だからです。

しかも、

「正しい答え」「ただ一つの答え」を要求する「問い」は出しません。

私の「問い」「質問」は、

入会前の体験に来られた時から始まります。

まず最初に、

「私はあなたのことを何も知らないので、いろいろ質問しますけど、

 答えたくないこと・触れてほしくないことがあったら、遠慮なく

 『答えたくない』『そのことには触れないでほしい』『それは言いたくない』

 と言ってくださいね。

 その方が、安心してあなたに聞くことができますから、

 イヤなことは『イヤ』と言ってください」

と伝えます。

つまり、

子ども側の「答えない権利」をしっかり保証した上での「問い」です。

そして、

その子の年齢によって聞く内容 はさまざまですが、

その子の「今」が垣間見られるような質問をいくつかし、

その上で、お試しのプリントを数種類見せて、どれをやるか「聞き」ます。

その時、通信第44号に書きましたように、

私は、

「これを選んでほしい」という「大人が期待する答え」を持っているのではなく、

心から「どれを選んでも OK!」と思える選択肢を出しているのです。

入会後の生徒さんたちとのやりとりも同じです

(これは、通信第44号の「自分で選んだのか『忖度』か?」のところに書きましたので、

そちらをお読みください)。

「この子のことを知りたい!」「この子はどうしたいのかな?」

そんな気持ちで聞く「問い」には、「正解」はありません。

だから、「間違った答え」も「間違ったから叱る」ということもあり得ないし、

大人主体で答えを誘導することもないのです。 

「問い」で主体性を!

ただ、

学校の宿題や問題集などでわからなくて質問に来た場合、

「正しい答え」のある質問をすることはあります。

生徒さんが質問に来ているのに、私が質問する、

ということに疑問を感じられるかもしれませんが、

私がすぐに「答え」を教えるのではない、ということです。

どこまでわかっているか聞いて確認し、

出来るだけ本人自身が考えて答えにたどりつくために質問します。

答えられない時には、「ヒントがほしかったら言ってね」と言い、

「ほしい」と言われたらヒントを出します。

つまり、

私の出す「問い」や「質問」は、

「子どもが主体的・能動的に自分の頭で考え自分で選び決める」ためのものなのです。

「スペースわん」では、そもそも、来る曜日や時間から、自分で選んで決めます。

もちろん、決まった条件内で、ですし、

送り迎えの必要な生徒さんは、ご家族のご都合もありますので、

それとの兼ね合いもありますが。

その場合、自分の希望とご家族の都合の折り合いをつけたり、など、

交渉が必要になったりもします。

「らくだ」の算数・数学のプリントをやった後も、

もう少し算数・数学のプリントをやるか、

国語や英語のプリントをやるか、学校の宿題をやるか、

受験用の勉強をやるか、持って帰るプリントを決めて帰るか、

ということを一つ一つ私は質問します。

問われることで、受け身ではいられず、

今まで考えなかったことを考え、

今まで与えられるばっかりだったことを、

自分で能動的に選ばなければならなくなります。

そして、

そのことで、うまくいったりいかなかったり、

しんどかったり困る事態になったり、

思いのほかスムーズにいったり、

ということを体験し続けることで、

自分でどうしたらいいかを考える習慣がつき、

だんだん、自分で段取りをつけたり、工夫したりできるようになります。

主体性が奪われている!?

 2020年から学習指導要領が新しくなり、

「主体的・対話的で深い学び」とうたわれているのですが、

具体的にどのように「主体的な学び」にするのでしょうか。

例えば、今、学校で出されている宿題や提出物を、

どうやって「主体的」にやれるようにするのか。

宿題や提出物に追われている中学生を見ていると、

「主体的」とは程遠く、むしろ、「主体性」が奪われている状況です。

「自主勉」も、自主的能動的にやれる子もいれば、

ただ受け身にこなすだけの子もいて、

それを半強制的にさせることが「主体的な学び」につながるとは思えません。

日頃から、指示・命令され、与えられっぱなしで、

いきなり「主体的に学べ」と言われても無理な話です。

決められたことに従うだけ、与えられたことをこなすだけ、では、

主体性を身につけることはできません。

かといって、好き放題やることで主体性が身につくわけでもありません。

少なくとも、

プリントの目安時間のような、主体的に選ぶための基準が必要です。

「この条件の中で、自分はどうするか」を考えたり、

常に「問われる」ことで、自分で考え選び決めることをし続けたり、

そういう日常を過ごす中で、育まれるものなのではないでしょうか。

日常的に「あなたはどうする?」と「問われ」て、自分で考えて行動する、ということを、

プリントを日々やるのと同様に、練習する必要があると思うのです。